三の丸の歴史

夜光稲荷

萬年屋、夜光稲荷の伝説

大坂夏の陣の折りの事だそうです。 当時、松本城主になる以前の戸田康長が、夜の合戦で敵との組討になりました。 家臣たちが救おうとするのですが暗闇の中、どちらが主君でどちらが敵かわかりません。 その時、一匹の白狐が火の玉とともに飛来したため辺りが明るくなり、組みしかれている康長の姿が浮かび上がったので、家臣が主君を救う事ができたのだといいます。 このことから康長は松本に移封後、城内に夜光稲荷を祀り、それが後々城主の変遷とともに家臣の屋敷に移されました。 明治以降その家臣から当家が土地を買い受けた折に、この夜光稲荷も萬年屋でお祀りすることになり、前述の捨て掘の土塁の天辺に祠を建てて現在にいたっております。 たびかさなる明治以降の水害の際に当家の部分だけ土塁が保存されたのは、このお稲荷様あってのことと伝承されております。 捨て堀で改易された石川氏、夜光稲荷の伝説の戸田氏共に、忌み名が康長であることも、歴史の偶然ではあります。

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三の丸で出会う風景の数々、旅を暮らしを彩るひとコマです