三の丸の歴史

松本城の土塁

松本城を残し伝える |

江戸時代の松本城は、現在松本城公園となっている、天守のある本丸・博物館などがある二の丸だけではありませんでした。公園の南側にある大名町や、東側の市役所のあるあたりなども三の丸とよばれる城の範囲でした。江戸時代が終わり、明治時代になるとお城は不要なものとなり、堀の多くは埋められ、土塁のほとんどは崩されて、三の丸の一帯は市街地となりました。

昭和になり、天守のある本丸、その周囲の二の丸一帯は国の史跡になりましたが、その範囲の中にもかつては裁判所や学校が建てられていました。それらはやがて城の外に移転し、公園として整備され、現在の松本城公園となりました。また、わずかに残された総堀や、近年整備された西総堀土塁公園も、史跡松本城の一部です。

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三の丸で出会う風景の数々、旅を暮らしを彩るひとコマです